インタビューシリーズ「未来の海藻のつくり方」:vol.1

陸の野菜は、それぞれ形や色や栄養が異なるように、“海の野菜”とも言われる海藻も一つひとつ個性があります。海藻の種類がさまざまなように、シーベジタブルにもさまざまな人が携わっています。研究者や料理人といった各分野のスペシャリストをはじめ、製品開発やプロデュースやロジスティックに携わるメンバーまで。

このインタビューシリーズでは、シーベジタブルに関わる内外の人々に話を聞くことで、海藻を取り巻く環境や、未来の食の可能性をのぞいていきます。

第一回目は、長年、海藻を研究してきた新井章吾さんにお話を伺いました。日本の近海には毒のない海藻が1500種類ありますが、新井さんは、そのほとんど全てを見分けることができるという特殊なスキルを持っています。論文も共著も含めると230報くらい出ているとのこと。50年近く国内外の海に潜り、仕事も潜水、趣味も潜水観察という日々を送ってきた新井さんに、シーベジタブルで取り組んでいることや、急速に変化する海の環境について聞きました。

海藻研究の第一人者にして、シーベジタブルの影の立役者

ー 新井さんが、シーベジタブルのパートナーとして関わったのはいつからですか?

 始まりは2018年5月。高知大学の大野正夫先生が主催している海の森づくり推進協議会に「新しい海藻産業の展望」の講師として呼ばれたんです。そこに、2016年に、シーベジタブルを共同創業した蜂谷潤さんが来ていました。そのときに、私が海のフィールドワークが得意だということを話したのを覚えていて、なにか一緒にやれることがないかと連絡をもらいました。2019年11月から少しずつ関わりはじめて、コロナが本格化した2020年夏頃から本格的に合流し、共同代表の蜂谷さんと友廣さんと一緒に北海道から沖縄までさまざまな研究者や漁業者を訪問しながら、その付近の海に潜りました。

 ー 何ヶ所ぐらい海に潜ったんですか?

コロナの時は月に2〜3回は出張で各地を回っていたので、1年間に10ヶ所は超えてるんじゃないかな。20年前に行ったときは、多種類の海藻があって、すごくいい場所だと案内したら、大型海藻が1本も生えていなくて愕然としました。私の好きな和歌山串本町や奄美大島も一本も大型海藻が生えていないんですよ。もうね、何もない。水は綺麗なんだけど、砂漠というか、なんだかどんよりした感じで不気味に見えました。海の環境は、特にこの数年で劇的に変化しています。

ー シーベジタブルのテストキッチンを率いる石坂秀威さんを、蜂谷さんと友廣さんに引き合わせたのも新井さんだったそうですね?

nomaの日本人スタッフから、「一年後にINUAをオープンするので、海藻の調達に協力して欲しい」という連絡をもらいました。そこからnoma、後にINUAの料理人と付き合うようになり、海藻のことを教えたり、漁師に協力してもらって採った海藻を送ったりしていたんです。一方で、シーベジタブルからは、「生産した海藻を使ってくれる料理人を探している」と相談をもらったので、INUAにいた秀威さんを紹介したんです。彼はとても誠実で修行僧のように料理開発をする。彼なら、海藻料理を極めてくれるんじゃないかと思いました。その後、INUAがコロナ禍で閉店することになりました。秀威さんは、それまで様々な食材を扱っていましたが、海藻が一番未知の食材なのでもっとやりたいと言ってくれて、シーベジタブルに参画することになったんです。

徹底的な現場主義で磨かれた、自然の観察眼

ー 新井さんは、徹底的に現場主義を貫いていますが、海のフィールドワークにこだわる理由とは?

幼稚園児の頃から、とにかく現場が好きでした。生まれは栃木県足利で海なし県です。幼少期に、町内会で太平洋側にバス旅行に行っていて、多分茨城県の大洗辺りかな。町内会の人と海水浴を楽しんで、海の家に泊まってみんなで雑魚寝した思い出があります。そこでは、今よりも遥かに多種類の海藻が生えていて、浜にすごい数の色とりどりの海藻が打ち上げられていました。松林の近くまで打ち上げられて時間が経った海藻は脱色して真っ白になり、もう少し海側に打ち上がった海藻はピンク色で、さらに海側に近いと赤色なんです。1950年代というのは、まだ暮らしの中に色が少なかったから、自然界の色のグラデーションに惹かれて、今でも強烈にその風景が記憶に残ってる。それが、海藻に興味を持った原体験ですね。

ー その頃から、海に関心を持ちはじめたんですね。 

はい。普段は、川でいろんな漁法で魚を穫って遊んでいました。小さい頃から、なぜこの魚はここにしかいないんだろうとか、追いかけると、どうしてここに隠れるんだろうとか、観察して理由がわかってくると、現場を見る解像度が上がっていくんですよ。それがそのまま大学に行っても引き継がれて、ボンベをつけて海に潜っても、希少種はきっと遠くに見えるあの岩じゃなくて、ちょっと下がった砂地の岩にいるんじゃないかなとか。そういうのをね、パズルみたいに解くのが喜びに変わっていきました。それが海藻の研究に生かされて、定量化と定性的な視点を交えて、科学的にデータを取りながら論文を書くことで、自分に足りないところがまた見えてくるんです。ずっとそういうことを繰り返してきました。 

さまざまな人たちと一緒に“海の森”をつくる

ー 新井さんが今シーベジタブルと取り組んでいることは?

大きく分けると三つあります。一つは、海で取れた珍しい海藻を、テストキッチンのメンバーに送って海藻料理の開発に使ってもらうこと。もう一つは、海藻研究に必要な知識を提供することです。シーベジタブルでは海面栽培を行っていますが、海藻は、季節や海の温度変化により、育つ海域が品種によって異なります。私は、少し特殊な環境を観察するのが得意で、ふつうだったら枯れてしまう海藻がなぜか伸びている場所を見つけると、その相関関係を考えてみる。そうした観察の結果をシーベジタブルのメンバーにフィードバックしながら、海藻の生態研究に活かしてもらっています。

もう一つは、海藻を過疎地域や半島や離島で栽培できるように普及していくことです。漁師さんの高齢化により、漁村がなくなるまであと5年か10年かもしれない。漁師さんの数は現在30万人くらいで、かなり少ないんですよ。平均年齢はおそらく60歳を超えています。私が付き合ってる船長たちは70代。若くて一緒にやってる人でも50代半ば。10年もしたら、もう船を出してくれる人がいなくなってしまうかもしれない。そこで、若い人が帰ってこれるようにするには、安定した魚をとりながら農業をしたり、海藻の海藻栽培をするような、今までと違う漁業をしなければ地方で生きられなくなると思います。今は魚が減っているので、魚の餌となる海藻をまずは増やして国内で販売する。その先に、ヨーロッパやアメリカにも輸出することができるかもしれない。

アカクラゲとヒトエグサ。山口県宇和島。(2013年:新井さん撮影)

ー 海藻の海面栽培は、漁師さんとの連携が欠かせませんが、どんな漁師さんたちと取り組んでいますか?

シーベジタブルと一緒に手をくむ漁師さんの共通点は、視野が広いことです。例えば、取った魚や海藻を自分で売ってる人ですね。もう一つは、漁師にならずに、会社員になって戻ってきた人です。漁師さんは、自分の魚法や漁場を秘密にしてあまり喋らないんですね。都会に行った人はもうちょっとこなれていて、情報を交換して地域を超えて連帯することができる。私は、全国の海に行くので、調査に協力的な漁師さんや、漁業協同組合の方々を見つけては、シーベジタブルのメンバーと引き合わせています。うまくいくと、それを見ていた他の地区の漁協も、「うちでもやってくれないか」と声がかかるという流れに期待してます。

ー ロールモデルになるような漁師町はありますか?

これまで私が一番時間をかけて付き合っているのは、佐賀県唐津市の松島です。私が行き始めた頃はまだ人口が6、70人くらいかな。今は多分、40数名になっていますが、25歳から35歳の若い世代が10人ちょっといるという、若者率が日本一高い島なんです。漁業を生業にしている町で、漁師や海人さんになりたい若者がいると、必ずご両親が「島外に3年勤めなさい」と言うんです。よそに行ってそれでも、漁師や海人になりたいと言ったら、若者がやりたいことを島の人が全力で応援する。邪魔しないんですよ。若者が「グランピング施設を作りたい」と言ったら、その成長を手伝ったり、暇があったら芝を張ったりする作業を、みんなが協力して手伝うんです。

ー すごいですね。島民と関わるようになったきっかけは?

35年以上前に、沖縄大学を出た松島出身の小中学校の先生と知り合ったんです。学会で会ううちに仲良くなって、松島に若者が帰れるように何かできないかと一緒に考え始めました。当時から磯焼けが進んでいたし、磯焼けの調査と島おこしみたいなことを、水産庁や環境省の海の仕事を紹介しながら、事業の分散をするために、農業や養蜂も推進しました。地下水が海底で湧出する海底湧水で塩作りも始めましたね。島の区長さんやたくさんの島民が協力してくれて、ウニは潰さずに餌で売ったり、ガソリン代が高くなったら、1隻の船にみんなで乗り合わせて効率よく収穫したり。「アカモクを商品化してみませんか」と提案したら3ヶ月後には女性グループが高品質なものを商品化して売り始めていました。とにかく、伝統的なルールに縛られずに、どうしたらよくなるのかを、みんなで試行錯誤しながらやり続けていくことが素晴らしいと思います。 

大自然の循環の中で海藻を栽培するということ

ー 今後シーベジタブルに期待することは?

二つあります。一つは、シーウィードキャンプのように、若い研究者が、海藻の研究をしながら食べていけるような土壌を作ってあげること。実際、海に潜る研究者は日本でほとんどいなくなりました。私としては、海に潜ることができる研究者を育てて、各県に人材を派遣し、研究員的なこともしながら、海のフィールドワークが一緒にできたらいいなと思っています。もう一つは、私は学際領域や縦割りを超えて、自然全体の最適化につながるような視点で仕事をすることが必要だと考えています。将来、シーベジタブルが、海のことだけではなく、山や森を含めた自然の大循環を見据えて事業を担ってくれることを期待しています。自然の流れの中に海藻栽培があって、天然の海藻や魚や貝がいて、その上に人が住んでいるという感覚が失われないといいなと思っています。海藻は、太陽の光と海の栄養だけで育ちますが、その養分はどこから来ているのかと言うと、森の腐葉土からきているんですね。

ー 新井さんが今後やってみたいことは?

私が個人活動で推進している海藻から肥料を作る技術をシーベジタブルの研究者や漁師さんと組んでできないかなと思っています。あと5年もすれば磯焼けがもっと深刻になります。去年、三陸の気仙沼では海藻を食べるアイゴが、秋に毎日0.5tから1tも取れたそうです。昆布をたくさん養殖している函館でも起きています。今後、流れ藻(海面に浮遊している種々な藻類)に乗ってアイゴの子供が大量に北に移動することで、養殖の昆布が食べられてしまう事例が増えるかもしれない。そうなったときには、食害を引き起こすアイゴのような魚が来たら海藻をかごに入れて栽培するしかありません。その点で、技術的に安定しているシーベジタブルの海面栽培を一年を通して生産できるようになれば、海藻の種類を変えながら栽培できる面積を広げて、海藻の“海の森”を作ることができる。それを税金を使わずに、民間レベルで実践できることが、事業として持続性があり大事なことだと考えています。

ー 最後に、新井さんが好きな海藻を教えてください。

私が食べて一番美味しいと思っている海藻は「みりん」です。シーベジタブルでもみりんを育てていますが、私が勧めたからなんですよ(笑) 生の「みりん」を湯どおしして食べると、感動する味です。

「みりん」は、九州の一部の地域で愛されてきた、今では幻の海藻とも呼ばれています。外はコリッ、中はジュルッとした、二層の食感が特徴です。シーベジタブルの公式サイトでは、「みりん」のレシピをご紹介していますので、ぜひチェックしてみてください。
新井章吾(海藻研究所 所長/シーベジタブル海藻生態担当)

高校時代まで淡水魚などの採集が趣味。海での仕事にあこがれ、東京水産大学に入学して日本各地の海に潜水。海の森が消失する磯焼けなどの研究を行う。多い年には年間250日以上潜水調査を行ってきた。1981年に東京水産大学大学院修士課程終了。同時に(株)海藻研究所を設立して現在も所長。2002~2016年に(株)海中景観研究所所長。2016~2020年(株)国際貿易顧問。その他、8つのNPOなどの顧問と理事をつとめる。専門は、藻類増殖学・環境保全学。