金七商店・瀬崎祐介さんが語る鰹節への想い
「鰹節屋でも人を喜ばすことができるんだ」
語り手:瀬崎祐介 | せざきゆうすけ
鹿児島県枕崎市の伝統ある鰹節店『金七商店』の四代目。
今では数少ない昔ながらの伝統的な製法で本枯節をつくり続けている。
本枯節をつくる上で最も重要とされている全てのカビ付け工程中、モーツァルトのクラシック音楽を流してつくった『本枯節・クラシック節』は、2016年に全国鰹節類品評会で農林水産大臣賞を受賞。
豊富な種類の節を製造しながら、枕崎に受け継がれてきた鰹節の伝統を守り伝えていく活動も行っている。
金七商店の歴史と自分
枕崎は鰹節が伝わって約300年もの歴史があるけど、金七商店ってまだ60年くらいなんです。
鰹節には荒本節と本枯節があって、本枯節の中にも何十種類とあったり、魚の種類も色々なので、昔はお客さんから「こんな節をつくってくれないか」というオーダーが入ることも多かったそうです。
45年前頃の枕崎って人口3万人の街に120件くらいの鰹節屋があって、隣に行けばつくり方をいくらでも教えてもらえる環境で、はじめは知識やノウハウがなくても学びながらつくることができた。
当時は何でも屋みたいに引き出しをどんどん増やしていったんですね。
自分にとって鰹節は幼い頃から毎日当たり前に見るものでした。鰹節屋を継ぐということに、実はそんなに魅力を感じていなかったです。
むしろ問屋さんへ鰹節を卸すために日々製造に追われているように見えた父親の姿は、職人というより経営者って感じで。つくり手の思いだったり、どういった命の流れや意味があるかということも見えてこなかった。
親や学校の先生、同級生への反抗心もあって、家業は継がずに、自分がワクワクできた「人を喜ばす仕事=映像の世界」に飛びこむために地元を離れました。
鰹節屋でも人を喜ばすことができるんだ
映像の勉強をするためにはお金を貯めないといけない。
それで文房具屋でアルバイトをしていた時、実家から送られてきた鰹節を皆にあげたら、びっくりするくらい喜ばれたんです。
その時に初めて、鰹節屋でも人を喜ばすことができるんだって気付くことができました。
「なんで鰹節屋を継がないの?」と言われたこともあって、そっか、普通の人からしたら鰹節屋ってかっこいいんだって。
この頃から鰹節に対するイメージが、自分の中でどんどん変わっていきました。当たり前すぎたものが、実は特別なものだったんだと。
自分の「人を喜ばせたい」という夢は、鰹節屋を継ぐことでも実現できる。そう思って金七商店を継ぐことを決めました。
鰹節と本気で向き合えるまで
けど、実家に帰ってきてからの数年間は、人の喜ぶ顔がなかなか見えないし、ただ仕事に追われるだけの日々を過ごしていたので、全く楽しいと思えなかったです。自分は何をやっているんだろうと思うことの方が多くて。
唯一楽しい時間が、昔ながらの製法で手を加えながら本枯節をつくっている時でした。
その頃から自分なりに本枯節をつくり続けるようになって、枯節で最も重要とされている全てのカビ付け工程中にモーツァルトのクラシック音楽を流してつくる『クラシック節』が生まれました。
鰹節にモーツァルト!?こだわりのクラシック節
本枯節の工程って、捌いたあとは煮て、1本1本骨を抜いて燻す。そこから表面を削って整形して、カビ付けと天日干しを繰り返します。
クラシック節は、その全てのカビ付け工程中にクラシック音楽を流して作っているんです。
手間と愛情のかけ方が違うのと、クラシックを聴かせることで、密度の高いカビがついて醗酵と熟成が深まるんですよね。
あとは、美しい音楽が流れているだけで、やさしく・リラックスしながら鰹節と向き合うことができたり。
それだけでも意味があるかなと。
良質な鰹節ができるなら、迷わずやる。
それが職人だと思っています。
最近では、金七商店といえば『クラシック節』っていうイメージを持ってくれている人が増えてきたけど、このネーミングで直取引しているのはこの鰹節の売上って、実は全体の5%以下。
ただ、その5%と本気で向き合っていると、自然と他の商品にも力が入っている状態になっていって、その結果、金七商店の節全体が良くなっていると感じています。
うちは8割本枯節をつくっているんだけど、本枯節と一言でいっても、一本一本職人の手でつくられるものもあれば、機械で量産化されたものもあったりと定義が広い。
だから、今回のようなコラボレーションや、うちの商品を仕入れたいという飲食店の方には、必ず工場見学に来てもらって取引を始めるようにしているんです。
実際につくっているところを見せて、自分たちがどうやって鰹節と向き合っているのかを隠さず全部話すことで、使ってもらえたらなと思ってます。
行けるところまで行こう
僕らがつくっているクラシック節は、これだけ手間も時間もかけてつくっていてもほとんどは業務用なので、金七商店の名前やブランド名が表に出ることはない。
鰹節って今や家庭に置かれることが少ないから、TVに出たとしても沢山買われるものじゃないし、よく「相当売れたでしょ」って言われるけど、全然。
だから、鰹節屋ってすごく難しいと思ってます。
このスタイルは変えたくないし、変えるくらいなら金七商店は潰れてもいいと僕は思っているけど、一般的な経営としてはダメな方向に進んでいるわけで。
そこには以前から葛藤があったけど、背中を押してくれたのには息子の言葉があるんです。
とあるイベントでゲストに親子で呼んでいただいて、最後に司会の方が息子に一言ってマイクを渡したら「僕は鰹節屋に生まれてよかったです」って。
その瞬間、悩んでいたことがどうでもよくなったというか、これでいいんだ!って。本当にこのまま行けるところまで行こうって、強くいられるようになったんです。
お陰で、自分の思いやこだわりに共感してくれる人たちとも出会えたし、鰹節を売るっていうより「残していきたい」「知ってもらいたい」という気持ちで活動をしています。
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