インタビューシリーズ「未来の海藻のつくり方」:VOL.5
陸の野菜は、それぞれ形や色や栄養が異なるように、“海の野菜”とも言われる海藻も一つひとつ個性があります。海藻の種類がさまざまなように、シーベジタブルにもさまざまな人が携わっています。研究者や料理人といった各分野のスペシャリストをはじめ、製品開発やプロデュースやロジスティックに携わるメンバーまで。
このインタビューシリーズでは、シーベジタブルに関わる内外の人々に話を聞くことで、海藻を取り巻く環境や、未来の食の可能性をのぞいていきます。
第五回目は、シーベジタブルで生産マネージャーを務める丸山拓人に話を聞きました。丸山は、2018年の入社以来、様々な地域で拠点開発から生産体制の構築、チームづくりまで、シーベジタブルの事業に多様な形で関わってきた一人です。地域に深く入り込み、人との関係性を耕しながら海藻を育ててきたその歩みには、これからの社会に必要な、持続可能で多様性に根ざした働き方のヒントが詰まっています。現場での実践から見えてきた、海藻がつなぐ未来への展望を聞きました。

きっかけは人。そこから見えた、事業のおもしろさ
ー シーベジタブルに出会った経緯や、今の仕事内容を教えてください。
私は、長野県の自然豊かな環境で育ったのですが、将来の仕事を考えていくうちに「自然や社会に優しいビジネスや経済の選択肢がもっと増えたら良い」という思いが芽生え、それがきっかけとなり、大学時代はソーシャルビジネスに興味を持つようになりました。
当時の自分はあまり大学に馴染めていなかったのですが、大学のプログラムを通して学生時代に一度、シーベジタブル共同代表の友廣さんに会っていました。そのプログラムをきっかけにさまざまな大人たちと出会い、「こんなに魅力的な人たちがいるんだ。世の中にはまだ知らない、面白い企業がたくさんあるんだ」と知ることができました。
大学を卒業して2年間、教育関連の仕事をしていました。教育に関わる仕事のやりがいを感じながらも、もう少し自然や一次産業の現場に直接関わる組織で働いてみたいと思うようになり、転職を決意しました。
前職を辞めることが決まったある日、駅のホームで電車を待っていたら、偶然、友廣さんが目の前の階段から降りて来たんです。ちょうど「久しぶりに友廣さんに話を伺いたいな」と思っていたところだったので、まるで運命のように感じました(笑)。
そこで、友廣さんからシーベジタブルの話を聞くうちに、自然・社会・事業のいずれにとっても良いバランスで、ユニークな取り組みをしている会社だと感じました。正直に言うと、当初はシーベジタブルという会社や海藻そのものへの関心よりも、「友廣さんと一緒に働きたい」というモチベーションの方が強かったんです。
この再会をきっかけに、2018年にシーベジタブルに入社しました。当時、シーベジタブルはまだ1拠点で海藻の生産をしていて、まさにこれから新しい生産拠点を作ろうというタイミングで、ジョインすることになりました。
現在は生産チームに所属し、海藻の生産から製品づくりまでの一連の工程がスムーズに回るように、生産管理や体制のマネジメントを担当しています。例えば、海藻の生産における計画立案や工程管理、品質管理などの業務に加え、生産拠点の体制づくりや、生産に関わる企業・漁師の方々とのコミュニケーションなど、人に関わるマネジメントを担っています。
自然資本と向き合いながら、健やかなビジネスをつくる
ー チームや社内の体制について、どんなところがユニークだと感じますか?
シーベジタブルの強みの一つは、スピード感を持ってトライアンドエラーに挑む点だと思います。通常であれば1年かけて取り組むようなことでも、約3ヶ月でPDCAを回して進めていくことができます。私が入社してからわずか3ヶ月後には、新しい拠点が1つ立ち上がり、並行して生産も始まっていました。
働いているメンバーにも多様性があります。社内には、海藻の研究を行うチーム、効率的な生産方法の開発や実際に海藻を生産するチーム、海藻の魅力や新たな食べ方を研究するチーム、そして出来上がった製品をお客様に提案するチームなど、さまざまな専門性を持つメンバーが集まっています。水産業のみならず一次産業の会社としては、今までにないチーム構成です。
そうしたメンバーがいるからこそ、海藻に関する「0→1」の新しい価値や動きをつくっていく挑戦ができているのかもしれません。
ー 「働く」ことにおいて、大事にしている軸や価値観はありますか?
社会にも自然にもポジティブなインパクトが生まれるような仕事の選択肢を、もっと世の中に増やしていきたい。それが自分にとって最大の働く動機です。必ずしも海を主なフィールドにしようと決めていたわけではありませんが、結果としてシーベジタブルの事業は自分のやりたいことにすごくフィットしていると感じました。
また、入社当初から感じているシーベジタブルの魅力の一つは、「多様な人たちが自然に混ざり合っていくチーム」だということです。共同代表の蜂谷のようにエッジの効いた専門家もいれば、日常の風景の中にはシニア世代の方もいるし、障がいを持つ方もいます。お子さんと一緒にオンラインミーティングに参加するメンバーもいますし、外国人スタッフもいて、英語でのコミュニケーションも自然と交わされます。
個々の興味関心や得意なこと、年齢はバラバラですが、「海藻」を通じて、それぞれが無理なく自分の強みを活かしながら働いています。美味しい海藻を届けるための取り組みには、海の生態系を守ることや、地域のしごとづくり、働き方の新しい提案などが自然と結びついています。こうした“混ざり方”は、どの地域でもきっと歓迎される——そんな手応えを感じています。
何もないところに、関係性をつくるということ
ー丸山さんは、シーベジタブルの拠点開発にも関わっていますが、実際にはどんなふうに進めているのでしょうか。
初期は、数ヶ月ごとに新しい場所を開拓していました。陸上で海藻を栽培するには、まず土地が必要ですが、たいてい、良い場所は誰かが使っていることが多いんです。
では、どうやって新しい土地を見つけていたかというと、Googleマップを開いて沿岸部の空き地をひたすら探すという、なんとも泥臭いやり方をしていました(笑)。「ここ、良さそうかも!」と思ったら実際に現地へ行って、使えるかどうかを調べる。自分たちの目でしっかり確認して、「ここならいけそうだな」と思えたら、その土地の持ち主を探し、「この土地、使わせてもらえませんか?」と相談してみる。とにかく、自分たちの足で現場に行って、目星をつけていくことを繰り返しながら、少しずつ場所や仲間を見つけていきました。
ー これまでに一番大変だった場所探しのエピソードはありますか?
シーベジタブルにジョインして、一番最初の仕事だった生産拠点の立ち上げですかね。以前、かつて魚の養殖を行っていた土地に出会ったことがありました。そこは地元で有名な飲食店のオーナーさんが所有している土地だったんですね。当時は、今よりも海藻の認知度が低く、私たち自身にも実績や知名度がほとんどない状態でした。「ベンチャー? 海藻? 陸上栽培?」と、不安に思われるのも無理はありません。最初は警戒されて返答すらいただけず、私たちの活動や想いが本物なのかを試されているような状況でした。
そこから何度も足を運び、少しずつ話を聞いてもらえるようになっていきました。5〜6回ほど通った頃に「頑張ってるから、貸してあげるよ」と言ってもらえたときは、本当に感動しましたね。
その後、「よし!やるぞ」と気持ちは高まったものの、拠点の開発を始めた当初はスタッフも少なく、自力でなんとかしなければなりませんでした。自分たちにノウハウがあったわけでもなく、数十年使われずに草木に覆われてしまった養殖場を前に、「どうやって片付けたらいいんだろう...」と立ち尽くすところからのスタートでした。とにかく、まずは草刈りから始めてみるしかなく、直径20cmほどの大きな配管をホームセンターで買った小さなのこぎりで地道に切って、少しずつ作業を進めていました。でも、気づくと毎日あっという間に日が暮れていましたね(その後、先輩からちゃんと正しい方法を教えてもらいました 笑)。
そんなふうに、まったくのゼロからのスタートで、あまりに非効率なやり方をしていた私たちを見かねて、地元のおじいちゃんたちが、「若いのが頑張ってるけど、やり方が下手すぎる」と声をかけてくれました。
次第に、おじいちゃんたちが作業を手伝ってくれるようになり、「地盤工事ならこの業者がいい」「機械のことならこの人」「困ったときは、あの人に相談してみたら?」と、地域のさまざまな方を紹介してくれるようになりました。そこから地元の方々との交流が生まれていき、拠点づくりが一気に加速しましたね。はじめは、設備も人との関係性も、泥臭く“手づくり”でスタートしましたが、その後、設備開発のメンバーも加わり、拠点開発や生産設備の製造・改良のスピードも格段に上がっていきました。
ー地域に溶け込んでいくうえで、地域の人との関係性はどう築いていったんですか?
軌道に乗るまでは、とにかく「その場に“いる”こと」を大事にしていました。設備工事にしても海藻生産にしても、すべてが初めての経験で、現場にいなければわからないことが多くありました。地域とのつながりが何もない黎明期だったので、「この土地でどうやって関係性をつくっていくか」を常に考えながら試行錯誤を繰り返していました。結果として、雨の日も晴れの日も、約100日間にわたって生産現場に足を運び、そこでの“動き”をつくることを大事にしていました。
そうやって通い続けるうちに、次第に地域の人たちとも仲良くなり、「どうやら、この子たちは本気らしいぞ」と思ってもらえるようになったんです。そこから、私たちの雰囲気にフィットする人たちが、少しずつ手伝ってくれるようになりました。
時間をかけて関係性を築いていく中で、「一緒にやってみたい」と言ってくれる人が現れ、そこから社員としてジョインしてくれる人も生まれていきました。地域の中に居続けることで、少しずつ地域の人たちからの信頼関係が育っていったのだと思います。
地域にいることで起こったもう一つのエピソードが、熊本県天草市にある土地との出会いです。当時、天草市内で拠点を開拓している最中だったのですが、そこで借りていた社宅の大家さんが忘年会を開いてくれました。
その席で、冗談まじりに「広い土地、どこかにないですかね?」と話したところ、たまたまそこに居合わせた方が「実は、使っていない広い土地があるよ」と教えてくれたんです。「じゃあ今度、海水が出るか掘ってみますか」と盛り上がっていたのですが、それがきっかけで、後に本当にその土地を借りることになりました(もちろん、生産が可能かどうかは、きちんと調査しました)。
このように、地道に泥臭く動きながら地域の人たちと関わる中で、出会った情報や偶然のきっかけを活かして、物事が少しずつ前に進んでいきました。
ー どんな方がパートナーとしてご一緒しているのでしょうか?
ここ数年は、海面栽培にも力を入れています。深刻化する磯焼けへのアプローチとして、海藻栽培の技術を活かし、「養殖藻場*」を創出しながら、美味しい海藻を育てていきたいと考えています。そこで力を借りているのが、各地のパートナー漁師さんたちです。シーベジタブルの取り組みにご理解いただいたうえで、一緒に汗をかいてくれる漁師さんと共創することが多いですね。
試験生産から始まり、海域に適した海藻や時期を調べながら、段階的に生産を広げています。一緒に取り組む漁師さんが仲間を紹介してくれて、近海で連携して広がる動きもあります。また、漁師さんだけでなく、海藻の発酵技術を研究している内田基晴さんや、長年にわたって海藻を研究してきた新井章吾さんのような研究者の方々にも、徐々に関わっていただいています。
もともとシーベジタブルは、海藻の種苗研究や栽培技術に強みがありますが、地域ごとに地元の方々や漁師さんとの連携が生まれるようになってきたことで、最近では行政や水産試験場の方々との協力の機会も増えてきました。
ー地域の人たちと連携したことで、印象に残っているエピソードはありますか?
シーベジタブルが初めて海面栽培を成功させたときのことを思い返すと、当時お世話になった、大先輩の漁師さんとの出会いが強く印象に残っています。もともとは魚の漁師でしたが、近年の漁獲量の減少を受け、さまざまな養殖に取り組む中で、最終的には「とさかのり」などの海藻養殖に専念していました。出会った当時はすでに80代。それでも、生涯現役を貫き、とさかのりの水揚げが減少する中でも、海藻の養殖に挑戦し続ける数少ない存在でした。「これからは海藻だ!この美味しさをもっと多くの人に届けたいね」と、よく話していたのが思い出されます。私たちもまさに海面栽培に取り組もうとしていた時期だったので、意気投合しましたね。
その後、シーベジタブルで育苗した種の試験生産や海面栽培の効率化に取り組みながら、美味しい加工方法の研究も進み、製品化へとつなげていきました。海藻のまわりに魚や生き物が増えてくる様子を見ては、あの大先輩と一緒に盛り上がりました。もちろん、失敗もたくさんありましたが、80代の大ベテランとまだまだ経験の浅かった私たちとの混合チームで駆け抜けた日々でした。振り返ると、あの取り組みこそが、今私たちが全国に広げていきたいと考えている海面栽培のモデルの「原型」だったのではないかと思います。
残念ながら、その漁師さんは他界されましたが、現在も地元の漁師さんと連携しながら、同じ海域で海藻の栽培を続けています。ご家族から「最後にシーベジタブルと出会って、一花咲かせてくれて嬉しかった」とおっしゃっていただいたことは、今もずっと心に残っています。こうした想いを持つ人たちと出会い、一緒に歩んでいけることのありがたさを、日々感じています。
やりたいことは、たくさんある。ここから必要なのは、一緒に船を押してくれる仲間
ー シーベジタブルで、これから取り組みたいことがあれば教えてください。
最近では、企業や大学と連携し、海藻の研究開発に取り組むプロジェクトも増えてきました。海藻を通じて実現したいことは、まだまだたくさんありますし、もっとできることがあると感じています。
ただ、取り組む課題や挑戦の規模が大きくなるほど、自分たちだけでできることには限界があると感じています。たとえ技術や熱意があっても、仲間が少ないなど、リソースには限りがあります。
だからこそ私たちは、志を共にする企業や研究機関などと協働し、社会や未来に貢献する研究開発やプロジェクトを、もっと加速させていきたいと考えています。
ー シーベジタブルの未来に、どんな期待や楽しみを感じていますか?
シーベジタブルの海面栽培は海をフィールドにしていますが、「自然」という大きな視点で見ると、山も川もすべてがつながっています。自然の循環だけでなく、地域の雇用創出や納得感のある働き方、そして、シーベジタブルに関わる一人ひとりの満足度までも含めて、きちんとビジネスの中で循環させていく。そういうモデルこそが、これからの時代に必要とされるのではないでしょうか。
そうしたアプローチの一端を、海藻という立場からシーベジタブルが担える存在になれたらいいなと、願っています。
個人的には、海藻を通じて生まれ始めているチャレンジが、この先どこまで広がっていくのかを見てみたいという純粋な思いが強いですね。今、日本だけではなく世界でも、海藻の可能性が再認識されてきていると感じます。地道で泥臭い毎日は変わりませんが、会社としてもフェーズが大きく変わろうとしていて、これからどんな展開が待っているのか、とても楽しみです。
ー最後に、好きな海藻を教えてください。
やっぱり、すじ青のりですね。もちろん食べておいしいですし、私自身も好きな海藻です。でも、それ以上に、すじ青のりを通して見てきた景色やコミュニケーションやそこから生まれているストーリーに、面白さを感じています。
いろいろな人たちの想いや手間が詰まった海藻を、「おいしい」と言ってもらえるかたちで届けられることが、本当にうれしいことです。だからこそ、ただつくって終わりではなく、健全なかたちで、きちんと届けるところまでを自分たちの手で整えていきたいと思っています。
すじ青のり
シーベジタブルが創業当時から主に生産している「すじ青のり」は、青のりの中で最も香り高く、最高級品種と言われる海藻です。
かつて天然の主産地であった高知県四万十川では、河口部の水温上昇に伴い収穫量が激減し、2020年に出荷量が0kgになりました。そんな中、世界初となる清浄でミネラル豊富な地下海水を用いた陸上での栽培を行い、独自に開発した設備(特許取得済)や生産ノウハウによって、高品質なすじ青のりを通年で安定的に供給しています。

丸山拓人(生産マネージャー/合同会社シーベジタブル)
1992年、長野県生まれ。大学在学中に「三方よし」の経営理念を実践する企業に出会い、深く感銘を受ける。自然環境に配慮しながら、人々の暮らしや社会を豊かにする仕事や組織に強い関心を持ち、現在は「しごと」「サステナビリティ」「インターローカル」を軸に活動を行っている。
*養殖藻場:その海域に合った海藻を栽培することで“養殖藻場(もば)”と呼ばれる、海の生態系を回復させる機能を持つ環境をつくっています。